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【2024/10/06 05:38 】 |
ドアラ
ドアラ(DOALA)は、プロ野球球団中日ドラゴンズの、コアラをモチーフにしたマスコット。背番号は1994。1994年からマスコットとしてドラゴンズの数々の試合に登場している。中日メインマスコットのシャオロン&パオロン両名の鈍重コンビのアクションを補うべく、バック宙やバック転等を披露している。
名古屋市とコアラの関係は深く、1984年(昭和59年)に初めてコアラが来日したのが名古屋市(名古屋市とシドニーが姉妹都市関係にある)であり、以来、東山動植物園では一番の人気者である。 ドラゴンズとコアラの関係は1987年からウインドブレーカーのワッペンにコアラが登場し、ホームラン人形にもコアラを使うようになった(元々はこの人形のことをドアラと呼んでいた)。その人気にあやかって1994年から登場したのが、現在のマスコットのドアラである。
目次 [非表示]
1 風貌・特徴など
2 交流関係
2.1 マスコット関係
3 パフォーマンス
4 エピソード
5 誕生から現在まで
6 メディア出演
7 著書
8 関連項目
9 脚注
10 外部リンク
風貌・特徴など [編集]

ドラゴンズマスコットのアクション担当。性別は男。年齢は「アルコールOK(被選挙権があるかどうかは不明)」歳、身長は「アジアの頂点」cm、体重は「圧倒的な存在感」kg(この3つは「ドアラのひみつ」より)[1]。頭はコアラ、胴体は細身の引き締まったヒトの形で、野球ボールのような青くて大きな丸いしっぽを有する。体色はチームカラーと同じ青色。耳はとても大きく、白く長い耳毛を生やしている。眉は太く垂れており、つぶらな瞳で、鼻は黒くて大きく、口はいつも無機質に笑っている。顔部分色のみ、薄い肌色である。
着ているユニフォームは中日選手陣と同じデザインが用いられており、背番号はデビューした年にちなんで1994。ビジター戦の際は選手と同じく青いビジターユニフォームを用いる。靴は大きく厚みのある楕円型で、色は体色と類似したドラゴンズブルー。側面に白でカタカナの「ド」をあしらったロゴがプリントされている。イベント等でスーツを着用する事があるが、その際にはしっぽを出す為にズボンの前後を逆にする。これはしっぽをしまうと死んでしまうため。ちなみにこのスーツはAOKIの「もてスリム」。
無機質に笑う顔、頭に対しスレンダーすぎる体、細い体に対して肉付きのよい尻、奇妙な仕草などが気持ち悪いと言われる一方、それがキモかわいいとしてカルトな人気がある。ドアラデーにて司会のお姉さんに「これが、かの有名な気持ちの悪いドアラの動き」と言われるところを見ると、球団側も気持ち悪いとの認識はあるようだ。
本人曰く「気弱で引っ込み思案、無口だがお調子者」とのことだが、実際には傍若無人なパフォーマンスを繰り広げ、周囲がどうであろうとも自らの存在感を存分にアピールする行動を繰り返す傾向にある。時折、逆に「棒立ちになったまま微動だにしない」といった奇行を見せることもある。
年収はパンの現物支給。主食は5枚切りのパン。愛用のシャンプーはブルガリ。使用している暖房器具は石油ファンヒーター。お笑いが好きでお笑い番組を頻繁に見るとのこと[2]。この他にも「手羽先」「コーン」は好物であるが、「味噌カツ」は苦手である。好きなゲームはスーパーファミコンの「パネルでポン」。将来の夢は「いつも寝ている生活」。
初期は顔が丸く赤みを帯び、目が小さかった。その後マイナーチェンジを2回行い、現在の顔になる。また、初期のユニフォームにはHITACHIやSUZUKIの広告が付いていた(「誕生から現在まで」の1994年の項も参照)。
「顔の造形がドラゴンズの森野将彦選手と似ている」と、一部から言われているが、ファンのみならず、コーチの川相昌弘も指摘していた[3]。さらに森野本人もNHK出演の際に、ドアラと顔が似ていることを認める発言をしており、後日、CBCラジオ『ドラゴンズワールド』のインタビューで「ドアラに似てると思われるのは(どう思っていますか)?」との問いに「嫌です。マスコットに似ているなんて意味が分からない」と含み笑いでコメントを残している。
2008年度の名古屋市営地下鉄名城線で運行しているドラゴンズトレインの車内広告で、ドアラ自身は森野のことを「ライバルだと認識している」ことが明らかになった。
交流関係 [編集]

シャオロンが現れると弟が出来た兄のような扱いを受け暫く冷遇されていたが、独特のキャラクター性や魅力あるパフォーマンスが相まって、今では絶大な人気を集めている。
中日選手からだけでなく他の球団選手、他球団マスコットからもいじられキャラとして愛されている。特に森野将彦とは仲が良いことで有名で、ベンチ前等でお互いに笑顔でじゃれあう姿が多数アップロードされている。球団公式ブログでも、よくほほえましい2ショット写真が掲載されている。中日スポーツでの不定期コラム「ドアラのつぶやき」では、「ぼくのことを可愛がってくれてる」と森野との仲のよさをアピール。AllAboutのインタビューでは自分と森野との関係を「親友」と表現した。ラジオ番組『ドラゴンズワールド』のインタビューにて、森野はドアラについて「あいつしゃべらない。マスコットの中でもプロ意識が高い」とコメントを残しており、笑顔で笑いあう2人の間で何の言語が用いられているかは現在まで謎のままである。
過去には元ドラゴンズ選手の高橋光信(現・阪神タイガース)との仲も良く、2軍に降格された高橋を何も知らないドアラがベンチを探す写真が球団公式ブログに掲載されたこともあった。他に他球団の選手(種田仁、佐伯貴弘、アレックス・ラミレス。種田は元中日だが)ともよく一緒の写真が撮られる。
好きな芸人は高田純次、球界マスコットのライバルは千葉ロッテマリーンズのCOOL(本人談)。
2008年7月のCDデビューにあたって、ライバルはジェロ、憧れの歌手は水谷豊と語った。水谷が憧れである理由としては「かっこいい」からだそうである。
故郷には伝説とされている、ゴールデンドアラがいる。外見はドアラと類似しているが、ドアラよりも眉毛が太く、耳毛は垂れ下がるほど長い。また目が赤く光り、ユニフォームと帽子に金ラメが施されているなど、さらに濃いキャラクターである。背番号はないが、背中には「MASCOT 美」(ブラックホッシーのパロディ)と書かれている。2003年9月15日~9月17日の対巨人戦に限りドアラを鍛えるべく現れ、その容姿に巨人選手等を唖然とさせた。彼を鍛え上げた後は故郷へ帰って行ったが、これ以後はドアラが絶好調のためか姿を現していない。
マスコット関係 [編集]
埼玉西武ライオンズのマスコット・ライナ は、ドアラにじゃれついたり、ドアラを追い掛け回したりと、ドアラに好意があると受け取れるパフォーマンスをしているが、一方のドアラは、そのライナのパフォーマンスには関心がないような素振りを繰り返している。筆談のトークショーにてファンからの「ライナのことをどう思っていますか」の質問には、「きにしなす」と、やはり気のない回答をしている。ドアラに好意をむき出しにしてからむライナの姿は交流戦等で頻繁に目撃されている。
東京ヤクルトスワローズのつば九郎とは同期であり、週刊ベースボールにて対談を行った事もある。つば九郎、ドアラともに筆談形式である。つば九郎はこのドアラの人気に少々嫉妬しているようで、ライバルとしてかなり対抗意識を燃やしている様子。2009年3月2日にはドアラの新たなる著書、『ドアラのへや――かくていしんこくむずかしい』の出版に合わせて初の著作である『つば九郎のおなか――しょくよくにまけました』(ISBN 978-4-569-70588-0)を出版。この中でも、ドアラとつば九郎の対談が含まれている。さらには出版を記念してのイベントにもドアラと共に参加している。
阪神タイガースのトラッキーとは非常に仲がよく、マスコット交流があるとよくパフォーマンスで張り合う。
北海道日本ハムファイターズのマスコットキャラクター、B☆Bとも仲がよくマスコット交流があると必ずといっていいほどバク転対決を行う。
広島東洋カープのマスコット・スラィリーとは、友情または親睦の証としての行動でユニフォームを脱いで裸体をドアラに見せ付けて、文字通り「裸の付き合い」を行う。
中日の天敵、読売ジャイアンツのジャビットとは良きライバルである。2009年の元日にドアラから読売グループのスポーツ報知宛てに届いた年賀状には「ジャビット君もばっちり決めてくるし、負けられません。」という宣戦布告とも取れる一文が書かれていた。しかし当のジャビットは至って冷静で、マスコット交流のときにはジャビットたちのダンスに乱入し邪魔をするドアラをジャビットがたしなめる場面も度々みられる。
横浜ベイスターズのホッシーファミリーとは、マスコット交流のときにはいろいろなネタのコントで場内を楽しませるのが恒例となっている。
競技は違うが、同じ名古屋をフランチャイズとするJリーグの名古屋グランパスのマスコット・グランパスくんとの交流も2006年以降行われており、グランパスくん一家がドラゴンズの試合に、ドアラ達がグランパスの試合をそれぞれ相互訪問している。
パフォーマンス [編集]

ナゴヤドームの3回裏の攻撃終了時、ファンサービスとしてドアラのサインボールがチアドラゴンズのバズーカ砲によりスタンドに打ち込まれる。また7回裏の攻撃終了時には1塁内野側で連続バック転の後、1回宙返りを試み、着地の良し悪しでドラゴンズの勝敗を占う(実際にこの法則を最初に発見したのはつボイノリオらしい)。成功するとチアドラの歓喜の輪ができる。失敗するとメンバーからポンポンで叩かれる。一部のメンバーが散らかしたポンポンを拾うこともある。ドアラが失敗した場合、チアドラの主要メンバー、可児千裕(愛称カニちゃん)がバック転に挑戦することがある。稀にドアラと同時にバック転する場合には、両者共に成功すると可児に歓喜の輪ができる。ただし、この場合もドアラは失敗した時とほぼ同じ仕打ちを受けるのがお約束となっている。挑戦はガチンコで行われており、失敗も芝居ではなく本気で失敗している。ちなみに、セ・パ交流戦や日本シリーズなどで相手チームのマスコットが来場した際、3塁側相手チームマスコット、1塁側ドアラでバック転対決を行う(バック転ができる相手マスコットに限られる)。ただし、最近はバック転にひねりを加える難易度の高い演技に挑むようになり、成功率が下がっている。
ドラゴンズの選手が本塁打を打つと、その喜びを表すために連続バック転のパフォーマンスを本塁の近くで行っている。試合終了後のヒーローインタビューにドラゴンズの選手が呼ばれた時には、ドアラ人形つきのマイクが向けられる。
2003年のシーズンに師匠ゴールデンドアラと出会い、数々の特訓を受ける。また、大阪プロレスでゴールデンドアラの試合を観戦中、師匠の危機に奮起し試合に乱入。見事ダブルフォールを奪い勝利する(勝利後には「ドアラーズ」のタッグ名で呼びあげられた)。これらがきっかけで、コメディアン系のファンキーな芸風となってくる。
もっともそれ以前からコメディアン系芸風の片鱗を見せており、はじけた最大の理由は2001年の星野仙一の中日監督退任だと言われる。星野は野球が真剣勝負であり、そこに悪ふざけを持ち込むことを嫌っていると言われていた[4]。ドアラ自身は2008年のAll Aboutのインタビューで「星野監督に怒られた事はない」と語る一方「おちゃらけたことは拙いだろうな、と自主規制していた」とも振り返っている。
2006年シーズン中に長机の上に横向きでうつ伏せになるなどシュール系の魅せ方にも開眼。そして、2006年シーズンオフにはグラビアアイドル級のセクシーポーズという魅せ方を会得。
2007年、オフ中の地道な仕事をこなしながら映画やアニメで忍者が雲隠れをする時の「ドロン!」ポーズを会得。この年のパフォーマンスの方向性として、志村けんを基本として、小島よしお、藤崎マーケットを取り入れている。また、時折パントマイム芸を披露するなど、引き出しの数は予想以上に多いと思われる。2008年からは「1・2・3・ドアラー!」やインパルス・堤下敦のティディベアなどを披露している。2009年にはオードリー・春日俊彰の「鬼瓦!」ポーズも披露。
宮城球場に訪問したときに東北楽天ゴールデンイーグルスのクラッチと絵心勝負をして以来、ステージでドアラの絵心を試す企画ができた。
お得意の敬礼ポーズは映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』で青島刑事が怪我をして室井の車で運ばれて行く時、道路で警備中の警察官が車に向かって敬礼をしていたシーンを参考にしたとのこと。
交流戦では積極的に他球場へ訪問している。そのために、マスコットとして本来想定外であるビジターユニフォームまで新調した。ナゴヤドーム以外の主催試合・2軍試合等も積極的に訪問。リーグ戦終盤においてはビジター戦に登場した。
エピソード [編集]

1996年の公式戦終了後にインタビューを受けた際、カメラマンから言われるままに、中の人が素顔を晒したことがある。
NHK衛星第1でドラゴンズ主催試合を中継する際には、連続バック転が実況・解説付きで完全生放送されたり、リプレイ映像としてスロー再生されることもあるが、ある解説者が「あんな大きい物を被ってバック転は大変」と発言したため、熱狂的ドアラファンからは「中日広報からNHKに対し正式な抗議を行うように」との苦情もあった。
その後J SPORTS STADIUMの中日主催試合中継でもバック転が流されるようになった。
基本的に無口だが、デニー友利に腹にパンチをかまされた際、これが思いのほか決まってしまい、「うっ」と呻き声をあげた事がある。
2005年阪神セ・リーグ優勝時、読売テレビの特番に乱入したがトラッキーに返り討ちにあってしまう。
2006年リーグ優勝時の祝勝会で、ビールに濡れた顔や手をプールの水で洗ったことから、球団の広報担当より「綺麗好きなドアラ」と評される[5]。
2007年シーズンには東京ドーム限定で、ビジター用の青のユニフォームに「DOALA 1994」のネーミングが入ったTシャツが販売された。8月の3連戦で100枚、9月には150枚が即完売になり、全国区となったドアラ人気を世に知らしめた。
2007年、日本一となった時のビールかけで、数人の選手に羽交い絞めにされながらビールを顔射されているドアラの姿がテレビで流れる(後述の#誕生から現在まで)を参照。
2007年のファン感謝デーにおいて、シャオロンチームとパオロンチームがあったにも関わらず、ドアラチームがないことについて落ち込んでいたドアラに、落合監督が「そうか、ドアラチームはオレとおまえだな」と囁き、励ました。(2007年、中日スポーツに毎週火曜日に掲載されていたドアラのつぶやき2007年最終回より)
『日経エンタテインメント!』2008年1月号誌上にて勝手にエンタ!大賞「あまりに自由過ぎるで賞」を受賞。老若男女に愛される自由なパフォーマンスが受賞理由。
瑞穂陸上競技場でのJリーグ公式戦で名古屋グランパスエイトの応援ゲストとして登場した。
2008年11月発売のアクションフィギュア「figma ドアラ ホームver.」の広告では、figmaシリーズ全体のキャッチコピー「よくうごく、キレイ。」をもじって、「よくうごく、キモイ。」というキャッチコピーが添えられている。本来はドアラの方が先に発売される予定であったが、発売延期により「トラッキー ホームver. 」と同日の発売となった。また、12月には「ドアラ ビジターver. 」も発売される。こちらの方には「よくうごく、キモイ。敵地でもフリーダム。」のコピーが添えられている。
週刊ベースボールで、つば九郎と対談を行った。ただし、ドアラ、つば九郎とも筆談形式である。
ドアラのイベントではDJドアラの「ドアラのテーマ」が使われていたが、現在はドアラでWiiゲーム内ソング「わたくしドアラです」が使われている。
誕生から現在まで [編集]

1994年
広告代理店「大広」の当時のドラゴンズ担当社員が「グラウンドでコミカルに演じるマスコットの必要性」を説いて球団に掛け合う。球団側は当初デザイン料や維持費を考慮して採用には否定的だったが、ユニフォームにスポンサーを付けるなどの条件付きで認められた。その結果として「ドアラ」が誕生した[6]。なお、ドアラという名前はホームラン人形(コアラのぬいぐるみ)として以前より存在していた。
誕生にかかわる設定は変転している。『中日スポーツ』2006年10月13日付ではドアラ自身の言葉として「ナゴヤ球場で拾われて」という一文があった。しかし『ドアラのひみつ』では一転して「捨てコアラなんて失礼な」と否定している。このため同書の奥付にあるドアラの経歴は「ナゴヤ球場に捨てられていたところを拾われてマスコットになったと、本人が語った事もある真相はナゾ」としている。
1997年
ナゴヤドームへの本拠地移転と新マスコット「シャオロン」登場に合わせリニューアル。ユニフォームにも、それまでのスポンサーロゴに代わり背番号「000」が付く。
2004年
ドラゴンズのユニフォーム新調に合わせ二度目のリニューアル。背番号が「000」から「1994」に変更。
2005年
プロ野球交流戦開始に伴い、対パシフィック・リーグ所属球団戦の遠征に帯同。12球団のマスコットのうち、唯一交流戦で全球場を訪問。
8月16日の対巨人戦で、落雷によってナゴヤドームの照明の50%が消えた際、復旧までの約30分間バック転等のパフォーマンスをし続けたという伝説を作る。その後球団から「お客様を飽きさせなかった」という理由で報奨金が出たとされる。(報奨金については翌週のドラゴンズ情報ラジオ番組でのオンエア情報)
2006年
5月交流戦開幕に合わせ、ビジター用ユニフォーム新調。
ゆかたデーには浴衣姿で現れる。バック転をするため裾をまくり上げ、いわゆる「岡っ引スタイル」でドームを沸かせる。
8月25日の対横浜戦では、ドアラデーとして「今日は俺が主役」のたすきをかけ登場したドアラ中心のイベントを行ったことからも、絶大な人気があることが分かる。
フルキャストスタジアム宮城では、仮面ライダーショーに飛び入り参加して、ショッカーをやっつける。「自分がこんなに強いなんて、自分でも知らなかった」(本人談)。
東海テレビナイター中継3時間スペシャルにて、DMVP(ドアラが決めるMVP)に自分を選ぶ。
敵地・東京ドームで落合監督のリーグ優勝の胴上げに参加。また、マスコットながら、ビールかけにポンチョを着て参加。
日本シリーズ(対北海道日本ハムファイターズ)の札幌ドーム3連戦に同行するも、連敗により1勝4敗で悲願の日本一ならず。ベンチ裏で落ち込み、ファイターズガールに慰められる。
ラスベガスへの優勝旅行には参加せず。
2007年
8月10日の子供たちを前にした練習時においても「お手本」を見せるはずが自由で気さくなところが炸裂し、チア・ドラゴンズの村野菜櫻にさんざん説教されている。そのあまりの自由奔放ぶりに、8月12日のD-STAGEショーにおいてたまりかねた村野が矯正を試みるも失敗。かえって暴走するという惨事を招く。その後もおかまいなしに自由奔放なパフォーマンスを展開し、シーズン終盤ついに村野を「もういっか」と降参させた。
8月19日、第二回ドアラデー開催。ドアラ自身が脚本・演出を担当したヒーローショーでは、マスコットとは思えないような華麗な殺陣を披露する。
11月1日、53年ぶりの日本一を果たしたビールかけに昨年同様ポンチョを着て参加。途中で選手や関係者に羽交い絞めにされながらビールを浴びせられる様がTV中継で放送された。また一部テレビ局の優勝特番のレポーターからコメントを求められた。
アジアシリーズ優勝後、『中日スポーツ』の紙面を使い アジア王・ドアラに即位したことを宣言する。
11月12日に発売された『タウンワーク』の表紙を飾る。なおタウンワークのキャラクター「JoBooB」もドラゴンズのユニフォームを着用し、ドラゴンズのロゴ「CD」が書かれた扇子を手に踊っている挿し絵が載った。
Yahoo!で行われた球団マスコット人気ランキングで見事1位を獲得した。[7]
12月にはラジオ番組『トヨタ うわさの調査隊』でもドアラ人気が紹介された。[8]
CM出演しているアピタ・ユニーで特製ドアラマグカップ(3種類)が作られ、12月に愛知・岐阜・三重・長野・奈良の店舗限定で買い物客にプレゼントした。ちなみに「王様ドアラ」「殿様ドアラ」などのデザインがある。
2008年
アピタ・ユニーの正月セールに売り出された「ドラ福袋」には「ドアラと行く沖縄キャンプ激励ツアー」「トヨタ・ポルテドアラエディション(抽選販売)」が登場。ドアラと行く沖縄キャンプ激励ツアーには66人の定員に対し2,000人以上が応募した。(2008年2月29日放送おもいッきりイイ!!テレビより)
1月2日にナゴヤハウジングセンター日進梅森会場(愛知県日進市)にてトークショーを開催した。この模様は翌日付の『中日スポーツ』1面を飾り、記事のリードには「前代未聞のトークショー」と書かれた。
2月22日、『ドアラのひみつ――かくさしゃかいにまけないよ』(ISBN 978-4-569-69823-6)を出版。
3月、ナゴヤドームの外野看板にドアラのイラスト(レフト側)が登場。なお同時にシャオロン&パオロンのイラスト(ライト側)も登場した。
このシーズンから公式戦のイニング間のショートプログラムとしてドアラがスタンド・フィールド内のどこからか登場する「ドアラにおまかせ」が始まった。しかし昨今のあまりのドアラ人気のため、観客が殺到する恐れがあることから開幕3連戦後にプログラムを休止すると一度発表されたが、登場エリアをグラウンドなど安全なエリアに限定するなどして継続する事が決まった。
5月26日、『公式ドアラ写真集 ドアラ☆チック』(ISBN 978-4-569-70098-4)を出版。
7月23日、CDミニアルバム『ドアラのテーマ』、およびDVDソフト『ドアラのすべて』を発売。
8月31日、第三回ドアラデー開催。スペシャルステージでは、昨年倒した悪の親玉?との再対決が行われた。
9月12日、DVDソフト『ドアラの休日 げんじつとうひ、してみました』を発売。
10月27日、毎年恒例の球団カレンダーとは別に2009年版ドアラカレンダーが発売された。
11月1日、アクションフィギュア『figma ドアラ ホームVer.』を発売。12月には『ビジターVer.』も発売された。
11月21日、『中日スポーツ』のウェブサイトに設けられた特設コンテンツを書籍化した『ドアラの九州旅日記』を出版。
2009年
3月2日、『ドアラのへや――かくていしんこくむずかしい』(ISBN 978-4-569-70587-3)を出版。
4月2日、任天堂Wii用ゲームソフト「ドアラでWii」を発売。
6月29日、JR東海の「九州行くなら新幹線」キャンペーンに伴い、九州親善大使に勝手に就任した。
7月28日、韓国観光公社から「韓国観光名誉広報大使」の委嘱を受ける。
7月29日、韓国のソウル・蚕室野球場で、中日の友好球団・LGツインズの試合の始球式を行う。
メディア出演 [編集]

新聞・TV・ラジオ・CM・ブログ・出版本
アピタ・ユニー-「ドラゴンズ朝市」開催告知TVCM等。なおこのCMは、ドラゴンズとユニーがタイアップ企画を実施し始めた2004年頃から出演している。2007年度までは脇役的扱いだったが、2008年春からのCMで主役となる。また、優勝や日本一決定時に放送するCMでは、涙を流すドアラが映されている(恐らくCGによる合成)。この他、ドラゴンズ応援番組などに突如出演することがある。なお出演したときも、ナゴヤドームで見るドアラと変わらないテンションである。
2008年3月31日から9月途中まで東海ラジオ放送のガッツナイター最前線・月曜日にドアラが初のレギュラー出演するコーナーが登場した。但しドアラは毎回メールを通じての出演となる。第1回目はドアラの近況報告と、ナゴヤドームで今季から行う予定だったドアラにおまかせがドアラ人気により安全面を考慮して行われていないことと、8回のバック転が成功していないというドアラの悩みを紹介した。2回目以降からはリスナーから寄せられた悩みについてドアラが答えていた。
ドアラのつぶやき - 中日スポーツでプロ野球公式戦期間限定連載(基本的に火曜日掲載)。2007年4月3日付から開始。試合中にグランドやベンチに入ることが可能なドアラが、試合中に気づいたこと、水面下の努力や悩みなどを、中日ドラゴンズ・広報担当の石黒哲男がドアラに代わって伝えるというもの。携帯サイト「ドラゴンズ情報」でバックナンバーの閲覧が可能。
Dragons 中日ドラゴンズ公式ブログ - マスコット情報として、ドアラの画像がほぼ連日のように多数掲載されている。ドラゴンズ情報がメインではあるが、「ドアラの情報が一番多いかも」というスタンスで運営が続けられている。
ドアラのひみつ/ドアラのへや - PHP研究所刊。前者(ISBN 978-4-569-69823-6)は2008年2月、後者(ISBN 978-4-569-70587-3)は2009年3月発売。球界関係者による著作は多岐に渡るが、マスコット自ら著作を発表することは極めて異例といえる。「本はあくまで通過点。目指すはマスコット界のトップです。僕の力でナゴヤドームを満員にしたい」(『ひみつ』刊行時本人談)。出版元は『ひみつ』刊行当初、初版を7,000部発行すると発表したが、ファンから「もっと増刷して欲しい」との要望が多数寄せられ(中日スポーツによる)、その後初版を70,000部に増刷した(2008年2月14日の中日ドラゴンズ公式ブログより)。2008年1月下旬には楽天ブックス、Amazon.co.jp、セブンアンドワイの三大ネット書店の予約ランキング1位を獲得した(『ハリー・ポッターと死の秘宝』を抑えての1位[9])。発売後も売れ行きが好調だったため、50,000部の増刷を行なった。出版元は名古屋タイムズの取材に対し「球団公式ブログに情報が掲載され多くの問い合わせがあり、ドアラの本を出版することに不安を感じていた上司も『売れるんじゃないか』と期待しています。出版業界でヒットといわれる5万部以上売れてほしい」(2007年12月21日付名古屋タイムズより一部参考&引用)と答えている。
ドアラ☆チック - 中日新聞出版開発局編著・PHP研究所刊(ISBN 978-4-569-70098-4)。2008年5月26日発売。ドアラの公式写真集。ナゴヤドームや遠征でのパフォーマンス光景などのほか、ドアラの生い立ちや「ドアラのつぶやき」のダイジェストなどが収録されている
ザ☆ネットスター!4月号(2008年4月5日放送)では、現在インターネット上で脚光を浴びる存在として紹介され、ドアラ本人もゲスト出演[10]。SOS団の部室を模したセットの外側から擦りガラスの窓を叩いて突如登場し、喜屋武ちあきら出演者を大いに驚かせての登場となった(出演者用の台本のみ、ドアラ出演については一切触れられていなかった)。質問コーナーでは、「シャオロンとパオロンのことはどう思っている?」という質問に対して「仕事なかま」、「妙な動きをするのは何故?」という質問に対しては「いたってマジメですけど」と回答。また、同じくゲストの金田朋子からは、「凄く低姿勢」「腰が柔らかい」「遅くにも花が咲いて良かったですね」と独特の評価を下されている。ただし、踊りを披露した時、そのクネクネとした動きには難色を示された。
2008年7月23日にはキングレコードから「ドアラのテーマ」というCDのミニアルバムを発売。「DJドアラ」としてCDデビューを果たす。本アルバムには「ドアラのテーマ」を4種類にアレンジしたものに加え、ドアラのリクエストで「おおきなくりのきのしたで」がボーナストラックとして収録されている。[11]。
同日、DVDソフト『ドアラのすべて』(発売元・CBC、販売元・ビクターエンタテインメント)を発売。
2008年9月12日にはメディアファクトリーからDVDソフト『ドアラの休日 げんじつとうひ、してみました』が発売。プロデュース・演出・出演全てをドアラが担当し、タイでのロケーション映像も収録されている。
セガから発売中のゲームソフトぷよぷよ7「みんなのぷよ顔CM-ドアラ篇-」(2009年7月 - )に出演。ぷよ暦は15年だと言う。
2009年7月、愛知トヨタ自動車のキャンペーンキャラとしてドアラを起用。
2009年8月30日投票の第45回衆議院議員総選挙において、愛知県選挙管理委員会がドアラを広報キャラクターとして起用。[12]。
2010年7月11日投票の第22回参議院議員総選挙において、愛知県選挙管理委員会がアイドルグループ・SKE48と共にドアラを広報キャラクターとして再び起用。[13]。
イベントなど
2008年1月2日に愛知県日進市のナゴヤハウジングセンター日進梅森会場にて「中日ドラゴンズ石黒広報トークショー&ドアラもやってくる!」が開催され、ドアラへの質問イベントがホワイトボードを使った筆談で行われた。これによりドアラの年俸や主食、使用しているシャンプーや好きな芸人、2008年の抱負など多数の非公開情報が公開される。同イベントは午前の部・午後の部とあわせ、延べ1,700人が訪れた。当日は中日スポーツ(翌日にはトップ記事であった)のほか、午後の部は日本テレビの取材クルーも来ていた。
同年11月1日から11月3日までジェイアール名古屋高島屋にて期間限定の「ドアラカフェ」がオープン。毎日400枚限定の整理券は開店後数分でソールドアウトした。[14]。
2009年2月22日に中京大学文化市民会館オーロラホールにて、声優・歌手の田村ゆかりのライブ「LOVELIVE 2009 *Dreamy Maple Crown*」が開催され、特別ゲストとしてドアラが登場して、自らもドアラの物真似をする田村自身も驚きを隠せず興奮していた[15]。
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