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├─≠ョ─ヵラス 東京マラソン
├─≠ョ─ヵラス スポーツMAXのアシスタントなどを務めた後、2005年4月からズームイン!!SUPERのメイン司会、8月には24時間テレビの総合司会に起用され現在に至る。 PR |
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遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(MF)。
目次 [非表示] 1 来歴・人物 2 選手時代の評価 3 所属クラブ 4 個人成績 5 代表歴 6 外部リンク 来歴・人物 [編集] 1994年にJリーグの横浜マリノス(後の横浜F・マリノス)に入団。長きに渡りレギュラーとして活躍した。2004年には中村俊輔の移籍で空いた10番も付けたが、2005年には故障に加え、補強選手や若手の台頭もあって出場機会が激減。7月にヴィッセル神戸に完全移籍した。2008年に契約満了で退団後、5月13日に引退を発表した。 「マイアミの奇跡」で知られる1996年アトランタオリンピックのU-23日本代表では、背番号10を背負った。2001年にはフル代表候補に選出され、合宿に参加した経験がある。 実弟はガンバ大阪に所属している遠藤保仁。横浜在籍時、ガンバとの対戦は兄弟対決として注目されることも多かった。クロスが対戦相手であるはずの弟に渡ってしまうことが多々あり、双方のサポーターの笑いと拍手を誘った。 タレントだった遠藤恵(旧姓・神崎)と2000年に結婚するが、5年の別居生活を経て2010年に離婚。 現在は古巣であるF・マリノス携帯サイトの「ここだけの話」を更新中である。またチームの15周年記念DVDでもかつてのチームメイトである鈴木正治らとトークした。 選手時代の評価 [編集] ボランチをはじめ、中盤の複数のポジションをこなす事ができる選手だった。豊富な運動量とスラロームドリブルが持ち味。ゲームのバランス感覚に優れ、中盤の軸となれる選手だった。 所属クラブ [編集] 1991年 - 1993年 鹿児島実業高等学校 1994年 - 2005年7月 横浜マリノス/横浜F・マリノス 2005年7月 - 2007年 ヴィッセル神戸 個人成績 [編集] 国内大会個人成績 年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算 1994年 横浜M - J 0 0 0 0 0 0 0 0 1995年 横浜M - J 19 0 - 1 0 20 0 1996年 横浜M - J 2 1 4 0 0 0 6 1 1997年 横浜M 18 J 15 0 3 0 2 0 20 0 1998年 横浜M 18 J 16 1 0 0 1 0 17 1 1999年 横浜FM 18 J1 29 4 2 0 3 0 34 4 2000年 横浜FM 18 J1 29 3 5 0 3 0 37 3 2001年 横浜FM 8 J1 30 1 8 2 1 0 39 3 2002年 横浜FM 8 J1 20 0 4 1 2 0 26 1 2003年 横浜FM 8 J1 26 3 7 1 3 0 36 4 2004年 横浜FM 10 J1 22 1 4 0 1 0 27 1 2005年 横浜FM 8 J1 2 0 0 0 - 2 0 神戸 36 J1 15 0 - 0 0 15 0 2006年 神戸 36 J2 1 0 - 1 0 2 0 2007年 神戸 36 J1 3 0 3 0 0 0 6 0 通算 日本 J1 228 14 40 4 17 0 285 18 日本 J2 1 0 - 1 0 2 0 総通算 229 14 40 4 18 0 287 18 その他の公式戦 1995年 Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点 2000年 Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点 2004年 スーパーカップ 1試合0得点 2005年 スーパーカップ 1試合0得点 2006年 J1・J2入れ替え戦 2試合0得点 国際大会個人成績 年度 クラブ 背番号 出場 得点 AFC ACL 2004年 横浜FM 10 2 0 通算 AFC 2 0 その他の国際公式戦 2004年 A3チャンピオンズカップ 1試合0得点 代表歴 [編集] U-19日本代表(1994年) U-23日本代表(1996年) 1996年 アトランタオリンピック(1試合0得点) 日本代表候補(2001年) |
枝村匠馬(えだむら たくま、1986年11月16日 - )は、静岡県榛原郡榛原町(現:牧之原市)出身、Jリーグ・清水エスパルス所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
目次 [非表示] 1 経歴 2 評価・プレースタイル 3 所属クラブ 4 個人成績 5 関連項目 6 外部リンク 経歴 [編集] 清水エスパルスJrユース、同ユースを経て2005年トップチームに昇格。同年10月22日のジュビロ磐田との静岡ダービーにて公式戦デビュー。2006年に背番号が32番から16番となり、甲府との開幕戦で初ゴールを決める。2008年には背番号が16番から8番となり、チーム最多となる公式戦計13ゴールを挙げ、チームの後半から終盤にかけての快進撃とナビスコカップ準優勝に大きく貢献した。 同期入団(トップチーム)である兵働昭弘、青山直晃、岡崎慎司と共に今後の活躍が大きく期待されている。 U-23代表に再三選出されるも、北京オリンピック本大会の代表には落選し涙をのんだ。 2011 AFCアジアカップ日本代表予備登録メンバーでもある。 評価・プレースタイル [編集] 中盤で攻守両面のバランスを取りつつフィールドのステルス迷彩とも評されるアタッキングスペースへの絶妙かつ果敢な飛び出しと得点力を兼ね備えるセンターハーフ。グラウンダーのシュートを多用する。いわゆる司令塔タイプではなく、流れの中から得点することができるアタッカーである。トップ下及び攻撃のタスクを担うボランチ、サイドハーフでのプレー得意とする。チームが守備的な戦術を敷く場合はセカンドトップでプレーする場合もある。 所属クラブ [編集] 清水エスパルスジュニアユース 清水エスパルスユース 2005年 - 現在 清水エスパルス 個人成績 [編集] 国内大会個人成績 年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算 2005 清水 32 J1 8 0 1 0 5 0 14 0 2006 清水 16 J1 34 9 6 2 3 0 43 11 2007 清水 16 J1 28 3 2 1 3 0 33 4 2008 清水 8 J1 30 8 11 4 3 1 44 13 2009 清水 8 J1 32 6 10 3 2 0 44 9 2010 清水 8 J1 通算 日本 J1 132 26 30 10 16 1 178 37 総通算 132 26 30 10 16 1 178 37 |